中国・日本でのすっぽんの歴史

今ではサプリメントや栄養ドリンクなど、さまざまな健康食品の材料として有名なすっぽん。
すっぽんはいつ頃から人々に注目され、どのように食されてきたのでしょうか?
中国と日本の時代の流れをたどりながら、すっぽんの歴史を見ていきましょう。

中国でのすっぽんの歴史

中国では、主に書物や薬学書にすっぽんの効能や効果についての記述が登場します。

4000~2900年前

中国で最初にすっぽんが登場するのは、4000~3000年ほど前の書物です。
儒教の経典の一つに、周王朝の官職などについて書かれた「周礼」という書物があります。
その中で、「鼈人」と呼ばれるすっぽんや亀を取り扱う専門職があったことが記されており、王朝を挙げてすっぽんの管理にあたっていたことが分かります。
特に、繁殖という大切な役割のあるメスは食べることが禁じられていました。

2900年ほど前の最古の詩集「詩経」にも、周の将軍である尹吉甫(いんきっぽ)が、戦のあとに故郷の友との宴会で蒸し焼きにしたすっぽんを食べた、という逸話が登場します。

2000~1300年前

さらに、約2000年前に書かれた中国最古の薬学書「神農本草経」にも、すっぽんに関する記述があります。
日本や中国に生息するシナスッポンの背甲は、上中下のランク分けの中で「中品」に分類されています。
その効果は、「心腹の腫れ物やしこり、寒熱を治し、胸の詰まり、ポリープ、悪性腫瘍、痔や生殖器のただれを治す」と書かれています。
約1800年前に書かれた「名医別録」には、すっぽんの肉の効果についても、「味がよく、傷ついた消化器官を治し、気を益し、不足を補う」と記されています。

また、六朝時代の医学者である陶弘景は、すっぽんの甲羅について、漢方に利用するには、「生の甲羅をとって肉をはぎ取ったものを良しとする。煮たものは用いない。」と、生きたすっぽんからとった甲羅が良いとしています。

そして1300年ほど前の唐の時代には、宮中料理として楊貴妃などに振る舞われていたといわれています。

現代

現在でも、すっぽんは肉や甲羅、内臓に至るまで、様々な部位が漢方薬として利用されています。
また、現代中国最高権威の薬物書である「中薬大辞典」にも、すっぽんの部位別にさまざまな効能が記載されています。

日本でのすっぽんの歴史

日本でのすっぽんの歴史は、縄文時代から始まります。

縄文~弥生時代

現在分かっている中で、日本最古のすっぽんの利用は、紀元前3500~2500年ほど前です。
滋賀県の粟津湖底遺跡という縄文時代中期の貝塚から、化石が出土したことで明らかになりました。

以降、北海道北見市にある弥生時代の常呂遺跡からもすっぽんの骨が発見されるなど、弥生時代の遺跡からはすっぽんの骨の出土が増加し、頻繁に利用されていたことが分かっています。

飛鳥時代

日本の書物ですっぽんが初登場したのは、史書「続日本紀」といわれ、文武天皇元年9月には、近江国から白いすっぽんが献上されたとの記述があります。

鎌倉~江戸時代

鎌倉時代に築かれた、東京都葛飾区にある葛西城の城跡でも、すっぽんが多数出土しています。
ところが、日本で一般的にすっぽんが食べられるようになったのは、江戸時代の中期以降です。

当時は今のような高価な食材の位置づけではなく、むしろ安く手に入れることができたため、よく庶民の食卓に並んでいました。
ところが、発育の遅いすっぽんはその需要に追いつくことができなくなり、今のような高級食材になったのではと考えられています。

明治時代~現代

今では当たり前に行われているすっぽんの養殖が始まったのは、明治時代といわれています。
以来養殖技術は徐々に発達し、1980年頃には本格的にその技術が広まりました。

現在では需要に見合った供給ができるようになっていますが、それでも高級食材であることに変わりはありません。
現在では食品技術も進み、サプリメントや栄養ドリンクなどの健康食品としても販売されています。

[出典]
すっぽんの歴史
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